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組手(くみて)とは、主に二人で相対して行う空手の練習形式の一つ。決まった手順にしたがって技を掛け合う「約束組手」、自由に技を掛け合う「自由組手」、勝敗を目的にした「組手試合」が存在する。他に型の有効性を検証する型分解を分解組手と呼ぶ場合もあるが、これも約束組手の一種である。 == 歴史 == ===沖縄時代 === 組手は、本部朝基によれば、琉球方言で「手を組む」という表現から来ているとされる〔本部朝基『沖縄拳法唐手術組手編』11頁参照。本部朝基『日本傳流兵法本部拳法』所収〕。組手は琉球王国時代から行われていたのであるが、組手の伝書が存在しなかったため、当時の組手が具体的にどういった形のものであったかは分かっていない。 船越義珍は、「組手と云って特にあるものではなく」〔富名腰義珍『琉球拳法唐手』44頁参照。〕と述べ、また本部朝基も「組手は琉球において古来より行われたのであるが未だ 制定した型というものはなく、なお文献にも残っていない」〔と語っているように、柔術形のような制定された約束組手は、明治頃まで存在していなかったと考えられている。 1867年、首里崎山にあった琉球国王の別邸・御茶屋御殿で開催された冊封使節のための祝賀会において、新垣通事親雲上(新垣世璋)と真栄理筑登之親雲上の二人が「交手」を演武したとの記録があり、これは組手のことを指していると考えられているが、名称のみで内容は不明である。 今日現存する最古の組手書は、本部朝基が1926年(大正15年)に著した『沖縄拳法唐手術組手編』で、それ以前のものは現存していない。この書で発表された12本の約束組手(朝基十二本組手)は、現代の競技試合から取り除かれた急所攻撃等が多く含まれており、古来の組手の様子をうかがい知ることができる。ほかに、花城長茂が学校体育用に1905年(明治38年)に作成した約束組手の一部を、『空手道大観』(昭和13年)の掲載写真から解読する試みが近年行われている〔高宮城繁・新里勝彦・仲本政博編著『沖縄空手古武道事典』柏書房、2008年、671頁参照。〕。 沖縄時代の組手が判然としないのは、伝書が存在していないというだけなく、当時の空手が型稽古中心で、組手がそもそも練習において大きな比重を占めていなかったためでもある。型稽古の他には、巻藁やチーシー、サーシーといった道具を用いた鍛錬稽古と、あとはわずかばかりの型分解のようなものがあるだけで、型で覚えた技を実際に試したい者は、那覇の辻町(遊郭街)等で行われていた「掛け試し」と呼ばれる一種の野試合を行う必要があった。しかし、本部朝基などを例外とすれば、掛け試しによる実戦の修業も一般的ではなかったと考えられている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「組手 (空手)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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